60年代後半から小田原の銀座通りにお店を構え、多くのお客さんに親しまれていた、軽食喫茶「ワンダフル」が、惜しまれつつも閉店したのは2010年。 当時の店長でもある、今回の依頼主・善場浩一さんは、ビル取壊しのための賃貸終了に伴っての閉店だった、と当時を振り返ります。「最初から〝場所を変えて〟再開するつもりで閉めたんだ」 閉めていた期間も、善場さんは、他の仕事をしながらアクティブに活動していました。 小田原には、〝マルシェ〟ブームが台頭するなど、街も変化をし始めていた時期。 近隣のイベントに関わるような人たちを始め、様々な人とつながることで、〝いまの小田原〟に新しくオープンする「ワンダフル」のあり方を、具体的に思い描いていくようになっていったのです。
新生「ワンダフル」が、満を持してオープンしたのは、閉店から7年経った2017年。場所は、大雄山線・緑町駅近く、交差点を曲がった路地の一角でした。
もちろん当時と変わらないメニューを味わいにくるお客さんも多くいますが、何より、善場さんと話すことを目的に来るお客さんが多いのが、ここの特徴。
オープンキッチンで調理中の善場さんとカウンターのお客さんが、マルシェの話、新しくできたお店の話など、よもやま話に花を咲かせていることもしばしば。
オープンキッチンは1人での営業を想定しての大前提ではありましたが、それ以上に、「人と話すこと、情報をやり取りすることが好き」という善場さんらしい、今回のリノベーションの〝要〟と言える部分かもしれません。
リノベーションに至る経緯を教えてください。
もともと、知り合いの不動産屋さんに、今度店を再開しようと思うんだけど、どっかいい物件あったら教えてねって聞いてて。
ここは事務所として賃貸に出してたんだけど借り手がつかなくて、飲食でもいいかっていうことになって、じゃあ善場がいるじゃん、て感じで話が来たんだ。
アールリフォーム工房さんは、その不動産屋さんからの紹介。
希望としては、すごいざっくりしたもので。
部屋を101と102の2部屋分使っているので、101側はフラット、102側は厨房とカウンターで2分割。で、トイレは奥、みたいな。
そういう形で設計してもらって、「こんなのでどうでしょう」って返ってきたので、「はい、じゃあこれでお願いします」って。
基本的には、予算はこれしかない。この中でやってっていう話をしたかな。
あとは、前の店の画像を見せて、同じようにつくることは全くないんだけど、たぶんその時のお客さんがまた来るから、前のワンダフルをやってたやつが今度こっちに移ってきて店始めましたよっていうのがこの店の形としてある、っていうことを伝えたと思う。
ただ時代も違うから、どういう風に作るかは全部お任せします、って。
設計プランはどういう風にたてていったんですか?
話をしてた中で、じゃあこういう風にしようかとか、こういう木調というか、色々ゴテゴテしない感じにしようかとかは、話しながら決めたんだよね。
ほぼ雑談みたいな感じ。
パソコン上で3Dで、それこそCGみたいなやつで見せてもらったのね。こんな感じで、って。
大体このくらいで、このところに厨房があってね、みたいな。
「お客さんが持ってきたチラシを貼ったりしたい」とかもプランとしてはあったんだけど、このスペースにこれを、とかは考えてなくて。
どんな形の店になるかの〝形〟はそんなに考えてなかった。
最初はチラシもラックを作ろうかと思ってた。
でも、アールリフォーム工房さんが、あの穴あき(有孔)ボード作ってくれたから。
活用させてもらってます。
実際にリノベーションしてみて、特に気に入ってるところなどありますか?
建物の引き渡しの時に、もともとここをショールームみたいに使ってたとかで、ドア側の壁内側が全部黒板になってたんだ。結構落書きがしてあった。
で、思わず「これはなんなの?」って聞いて。それこそ雑談の中で。
「こういうのがあるの?」「あります」
じゃあうちもやってみようか、みたいな(笑)
俺以外の人間が書いてるところも多くて。あ、もちろん、柱の方の落書きは俺が描いたんじゃないよ(笑)それぞれ、息子、甥っ子、姪っ子、妹が描いた。
あっちのクリームソーダの方は募集して。
「クリームソーダを始めるから、誰か黒板に絵描いてくんない?」「じゃあ私の妹が描きます」みたいな。
お客さんと会話できるオープンキッチン。
チラシ掲示用の有孔ボード。
みんなで楽しむ黒板。
そこにあるのは、気負いのない、お客さんやまわりの人たちとコミュニケーション。善場さんの考え続けてきた、〝いまの小田原〟での「ワンダフル」の姿かもしれません。
リノベーション後の新生「ワンダフル」は、今日も路地の一角で、その明かりを温かく灯しています
喫茶ワンダフル改修工事
工事期間 2017年7月中旬~8月下旬
工事費用 約400万円